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COLUMN

Columne

世界の街角で働くということ

英国建築設計現場の風景
山嵜 一也
英国に観光ビザで入国し500社以上の就職活動。貰った断りのレターは59通。留学ではなく働くことを求めて海を渡ったのはリアルな英国の風景を見たかったから。必要とされれば採用、いらなくなればクビ。多国籍チームでは多くの誤解も生じたが、そのムッとする瞬間こそが出発点。相手を拒絶していたら距離は縮まらない。英国のやり方すら通用しない。正解がない。答えは一つではない。相手を説得し、自分を納得させる。建設現場では小さなコミュニケーションの積み重ねで信頼を得るのだと肌で学ぶ。理解しようという覚悟。それは語学力とは別次元の話。仕事で使える言語能力は悔しい思いでしか身につかない。12年間で4度の解雇。英国建築設計現場の風景をお伝えします。
第13回 「特別編-ザハ・ハディドと対峙するために必要な技術 」

“I don’t know. (知らない)”
 一つ目の答えに続いて、二つ目も同じだった。その答えを聞いた瞬間、ロンドンの建設現場で施工業者が無理難題を言い、設計士である私を試していたことを思い出した。今回も私は試されている。しかし、ここは静寂に包まれた新宿パークハイアット高層階のスイートルーム。グランドピアノを背にした建築界の巨匠ザハ・ハディドと私は向き合っていた。彼女は新国立競技場コンペの最優秀賞受賞者であり、建築界のノーベル賞と言われるプリッツカー賞を女性で始めて受賞した英国を拠点にするイラン出身の建築家だ。しかし、彼女のインタビューに至る長い道のりは、44時間前、携帯電話への一本の電話から始まった。

 2013年1月に日本へ本帰国した私は生活の拠点を構えるべく、都内で不動産巡りや役所の手続きなどをしていた。家具選びをしているとき、私の携帯電話が鳴った。建築雑誌の編集者からだった。

 『明日、ザハ・ハディド氏が新国立競技場コンペ授賞式に合わせて来日する。そこでインタビューの通訳をして欲しい。』とのことだった。巨匠へのインタビュー通訳という大役に躊躇したが、それ以上にそのような人と話せるいう好奇心が勝った。日時と場所を確認すると『彼女の事務所の広報担当者の携帯電話番号があるから、まずインタビューが可能か頼んでくれ』と言われ、電話は切れた。(えっ?そこから?)東京の雑踏の中、私はしばし呆然とした。

 借りたばかりの何もない部屋に帰宅し、英国の携帯電話番号に電話を掛ける。時差を計算したが彼らは丁度日本の空港に到着したばかりだった。インタビューについては明日の授賞式会場で話し合おうとなった。話し方からして信用できる人だと思った。帰国してから数ヶ月。私の英語はどうやら身体に染み付いているようだ。渡英当初、電話口での会話に四苦八苦していた頃が懐かしい。

 次の日、都内のホテルで盛大に開かれた授賞式で、広報担当者に声をかける。この時点でまだインタビューが実施されると決まっていない。ハディド氏本人の“体調”がすぐれないらしい。しかし、このインタビュー実現へのキーマンが広報担当の彼だと判断した私は距離を近づけるべく授賞式後のレセプション会場の片隅で様々な話をした。私が最近まで英国で働いていたこと、英国や日本の建築業界についてなど。パブで同僚としていた他愛ない会話が生きている。

 彼はハディド氏本人に日本滞在中に時間を取れるかどうか直接お願いしてはどうかと提案してきた。日本の関係者の多くが祝福のために作った列に私たちも並ぶ。2020年東京五輪パラリンピック誘致獲得のために選ばれた競技場デザインへの祝辞とこのインタビューで作品に対する思いを日本の読者に発信してはどうか?と伝えた。世界中を飛び回っている長旅の疲れと時差からか椅子に佇む彼女は広報担当の彼に全てを調整させる、と答えた。同行した編集者は日本の様々なスポーツの名場面を生んできた聖地の作り換えるという注目のデザインを生み出した彼女の肉声が少しでも欲しい。しかし広報の彼が言うには全ては彼女の“体調” 次第だという。私はインタビューは実施されないのではないかと不安を抱えたまま帰途についた。

 次の日の朝、広報担当から電話があった。12時に新宿のパークハイアットロビーを集合場所として指定された。すぐさま編集者に連絡をして、向かう。高層階のロビーに到着するもそこからカフェで2時間待たされた。正確にはその間、彼女の功績などのレクチャーを受けていた。それがインタビューのときのネタのヒントになったのだが、まだこの時点でインタビューはキャンセルされる可能性もあると思っていた私は半信半疑で彼の話を聞いていた。

 ようやく彼女の秘書から呼び出しがかかる。ロビーから更に高層階に上がるエレベーターで彼女の待つスイートルームへ。部屋でグランドピアノの前に座る彼女といよいよ対面する。

 冒頭の二つの質問には拒絶の言葉から入った。しかし、ここで引き下がるわけには行かない。食い下がり、様々な質問をあらゆる角度からぶつける。インタビュー中、私はずっと彼女の目を見ていた。オーラをまとった人間の目を見つめ続けるのは気力のいる作業だったが、試されていると感じたら、後はこちらの本気度を見せるだけだ。ロンドンの建設現場の定例会議で責められるときこそ、私は相手の目を見ていた。ためらったり、劣勢に立たされているときこそ下を向いてはいけない。

 コンペ当選案と授賞式で発表された案では競技場の向きが180度変わったことを突っ込んだりしたが、それはたいした問題ではないとでも言うようにあっさりと認めた。淡々と進む中、ロンドン五輪パラリンピックのくだりになり彼女は饒舌になった。自身が設計した競泳場での選手達の躍動と地元民の歓声を体感したという。「あのような素晴らしいイベントが東京に来るのならば、それはあなた達にとっても貴重な体験になる。」と彼女の口調は高揚していた。重苦しい空気から始まったインタビューも彼女の調子が上がってきたところで終了。

 このインタビューが実施されたのは新国立競技所コンペの授賞式のあった4月。それは東京が2020年五輪&パラリンピック開催地に決まる半年も前のこと。当時この都心の巨大な構築物の是非を問う声など、まだ聞こえてなかった。

 箸にも棒にもかからない受け答えで始まったインタビューを同行した編集長は面白がり、音声ファイルから文字起こしされた彼女の肉声はそのまま掲載された。インタビュー初体験の人間が通訳することで彼女も面食らっていただろう。しかし、私に取っては英国の建築の現場で得た経験が生かせた仕事だったのかもしれない。

記事見出しに使われた写真はインタビュー後に撮影されたもの。“体調”のすぐれない彼女に“笑ってください”とは言えない。自然な表情を出してもらおうと私は必死に会話を続ける。しかし、ネタが尽きた。苦し紛れに出た質問が“何か運動とかしていますか?”だった。

山嵜 一也 Profile
1974年東京都出身。芝浦工業大学院修了。レイモンド設計事務所を経て、2001年渡英。観光ビザで500社以上の就職活動。ヘイクス アソシエイツでワイカラー ビジターセンターでRIBA賞入選。アライズ アンド モリソン アーキテクツで欧州最大級となるハブ駅キングスクロスセントパンクラス地下鉄駅の設計現場監理。ロンドン五輪では誘致マスタープラン、レガシーマスタープラン、グリニッジ公園馬術競技場の現場監理。個人でもベネトン社店舗計画コンペファイナリスト。スイス家具メーカーのオークションで椅子パターン発表。芝浦工業大学 WEB型非常勤講師(2007-2012)。2013年1月に日本へ帰国。英国の建築設計現場について講演、執筆多数。ロンドン五輪計画についてのコラム「for Tokyo2020!」など。

山嵜一也 公式ツイッター ページ